2022年05月15日

一般的な人生

私は生活の必要のために
生きているのではない。

学生時代が終われば、
就職して、結婚して、
子供を育て、独立させ、 
老後は平安に過ごす、
ということが
「一般的な人生」ということに
なっているとするなら、
私はそんな人生は空しいと思うし、
そう思ってきた。

イエス様を信じて救われた今は、
神様の真理のゆえに、
そう思っているわけであるが、
私はイエス様を信じる前も
そう思っていたのだ。
だから、空しくない人生とは、
ということに悩んでいた。

だから今はますます、
「一般的な人生」に
嫌悪感さえ感じるのである。



thisisthehour624 at 23:16|Permalink

2022年05月13日

神様だとか仏様だとかイエス様とか


神様だとか
仏様だとか
イエス様だとか、
そのように自分とは別に
そのような方々がいる、
と思っていた。

そうではなく、
真実の自分が
神様だとか
仏様だとか
イエス様だった。

その真実に気づいたら、
今まで自分だと思っていた自分は
こそこそと姿を消し、
神様だとか
仏様だとか
イエス様が
生き生きと現われた。

自分がそうでなけれぱ、
神様だとか
仏様だとか
イエス様は
現われようがなかった。

この自分はそれがわからず、
自分以外のところに
そのような方々がおられると
思っていた。

また、こんな惨めな自分を
どうにか高めたりしてこそ、
そのような方々と
交われると思っていた。

そうではなかった。

惨めな自分は
本当の自分ではなかった。



thisisthehour624 at 13:14|Permalink

本当の私


真理は生きているので、
哲学用語などの
人間が作り出したものでは
表わせない。

同様に、
人間が定めた儀式などでも
表せない。

ただ、その真理を体験した者が、
その生きざまをもって
表わすのだ。

神仏は真理であるが、
その言葉そのものは
神や仏ではない。
その神や仏を
生きざまで表わしてこそ、
そこに真実の
神や仏が表われるのだ。

私がイエス様であり、
私が神仏そのものである。
それはこの肉体が
神仏なのではなく、
その生きざまをする時、
目に見えない私が、
本当の私なのだ。

thisisthehour624 at 05:38|Permalink