2021年09月07日

ある体験


奇跡を連日2回も体験した。

ではその時、
私は「すばらしい!」って
すなおに喜んだかというと、
そうではなく、
ただひたすら恐縮していた。

「私のような者に・・・」
という気持ちなのだ。
しかし、そんな気持ちは
よいものではないはずだ。

その後、家で十字架を
見上げた時、
「遠慮なく受けよ」という
メッセージをもらった。

十字架で、すべては
解決済みではないか。
何を遠慮するのか、と
おっしゃって下さったのだ。

確かに、十字架は
そのために与えられたのだ。

これは理屈ではなく、
体験だった。


thisisthehour624 at 22:03|Permalink

2021年09月05日

絶対者のみ

神様しかいない、
神様だけが絶対者
という真理こそ、
常に心にとめておくべきことである。

被造物ばかりではなく、
神様のみわざでさえ、
絶対的なものではない。
神様のみわざも、
神様の表現である。

釈迦が、
すべてのものに対する執着を
捨てるように教えたことは、
ただ神様ご自身だけを
絶対者とすることである。


thisisthehour624 at 09:15|Permalink

2021年08月31日

突き立てられた剣

今夜も一通り、
真言と陀羅尼を交えて
イエス様の御名によって祈ったりしていた。

すると、いきなり毘沙門天さんが現われ、
とても大きな剣を私の目の前に突き立てた。
それも、ものすごく力強く
勢いよく突き立てた。

そして、その剣は突き立てられたまま、
私の方に迫って来るので、
私は手印のひとつである刀剣印を結んでかまえた。

するとその剣は私と一体となった。

そして、毘沙門天さんは、
「その剣で道を開け。道は開かれる」
と言った。

真言と陀羅尼とイエス様の御名による祈りには
いろいろなことがあっておもしろい。


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