2021年11月

2021年11月24日

今日、このような御声が。

神様に目を向けている限り、
その人がどのような人間であろうとも、
神様は決して見放されない。
だから大丈夫。
信じた道を行きなさい。

thisisthehour624 at 13:40|Permalink

2021年11月11日

御使いの導き

天地万物を造られた神様は、
すべての人に御使いを遣わし、
各人それぞれ、常に導いておられる。

最初、人はすべて、
神様を知らない状態で生まれて来る。
そのような人々を、
神様はあらゆる方法をもって
神様を知るよう導かれる。

しかし、
神様を知らないままの人に対しても、
常に神様は御使いを通して導きを
与えておられるのだ。

それを多少なりとも感じる人たちは、
それを守護霊だとか、
ご先祖様が守って下さるとか、
いろいろ言うが、
実は、すべて
神様から遣わされた御使いなのである。

また、そのような「迷信的な」言葉を使わずに、
強く念じれば願いはかなうとか、
引き寄せの法則、などと名づけて、
自分の念や思いによって、
願いをかなえながら生きていける、
と主張する人々がいる。
それは、神様からの御使いを無視し、
ますます神様から離れる道であり、
最初は願いがかなっているように見えても、
最後は滅びに向かうだけである。

また、
神様を信じる者であっても、
御使いがすべてを導かれていると
信じている人はほとんどいない。
自分の祈りを通して、
神様が導いてくださっていると
考えるのがせいぜいである。
しかし、それでは、
祈らなければ導かれないことになり、
はなはだ、不安定な状態に
いるということになってしまう。

祈っても祈らなくても、
願っても願わなくても、
神様はすべてをご存知であり、
遣わされた御使いもすべてを
ご存知である。
まずは、自分に遣わされている
御使いに目を向け、
感謝することが第一である。

また、その御使いは、
宗教によって呼び名が違うが、
呼び名が違うだけであり、
すべて、同じように、
神様から遣わされている
御使いたちなのである。



thisisthehour624 at 16:51|Permalink

2021年11月09日

霊はみな兄弟

私のところに、
たくさんの霊的存在の方々が
集まって来られて
戸迷ったりもしたけれど、
なぜ集まって来られたか、
やっとわかった。

それは、
家族だからだ。

神様は天地万物を造られたが、
被造物はみな同じではなく、
神様の霊を宿す存在と、
宿さない存在と分かれる。

神様の霊を宿す存在は、
天使、御使い、神の人、
仏、菩薩、天神地祇、
八百万の神などと称される
「霊的存在の方々」と、
目に見えるこの世においては、
人間である。
そして、同じ神様の霊を
宿しているわけであるから、
霊的存在の方々と人間は、
みな兄弟家族である。
兄弟家族であるから、
集まるのは当然である。

私は以前、夢の中で、
弁才天さんが毘沙門天さんと
一緒に私のところに来られ、
「あなたに会いに家族で来ました」
と言ったので、
家族とは七福神のことかと
思っていたが、
七福神も含めた、
すべての霊的存在のことだと、
やっとわかった。
だからあのとき以来、
私にもわかる形で、
次から次へと、
たくさんの霊的存在の方々が、
集まってこられているのだ。

目に見える形では、
私はひとりだか、
霊的次元においては、
世界一大家族と共にいる。

もちろん
私ばかりではなく、
すべての人はそうであるが、
気づいていないだけだ。




thisisthehour624 at 06:37|Permalink

2021年11月06日

恐ろしい夢を見て

とても恐ろしい夢を、
それもたくさん見て、
私は目を覚ました。

その恐れにより、
心臓は鳴り、体は固くなり、
「私が何か間違っているから、
こんな恐れに取り憑かれのか」
などと思ったら、
ますます恐ろしくなり、
果たして生きていけるのか、
とまで思った。

今の私はひとりで生活しているので、
このように恐れの中にいても、
同じ家には誰もいない。
それがますます私を恐れさせた。

こんな時は、
腹式呼吸をすれば
落ち着くかも知れない、
と思ってやってみたか、
全く効果はなく、
何も変わらなかった。

やっと私は神様に目を向け、
イエス様の御名を思い浮かべ、
私にとっての異言である陀羅尼を
心の中で称えたら、急に落ち着いた。

すると、
「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ」
という御言葉を思い出したので、
聖書のその箇所を読んでみた。
『ダニエル書』10章である。

やはりダニエルも
主からの幻を見て、
ひどく恐れることが
何度もあったようだ。

そして、
この『ダニエル書』10章の
「彼が私にこのようなことを語っている間、私はうつむいていて、何も言えなかった。  ちょうどそのとき、人の姿をとった者が、私のくちびるに触れた。それで、私は口を開いて話し出し、私に向かって立っていた者に言った。「わが主よ。この幻によって、私は苦痛に襲われ、力を失いました。  わが主のしもべが、どうしてわが主と話せましょう。私には、もはや、力もうせてしまい、息も残っていないのです。」  すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、 言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」
という中の「くちびるに触れる人の姿をとった者」とは、
私にとっては弁才天であることがわかった。

さらにそれに続く箇所にある、
「真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない」
という中の「ミカエル」は、
私にとっては毘沙門天であることかわわかった。




thisisthehour624 at 05:27|Permalink

2021年11月02日

本物と偽物は紙一重

「ある人には霊を見分ける力が与えられています」
『Ⅰコリント』12章10節(抜粋)』

なぜ人は偽物にだまされるのか。
それは、偽物が本物にそっくりだから。
これは当たり前だ。

一度だまされた人は
疑い深くなり、
本物も偽物だと思いたくなる。
これも当たり前なこと。

だからこそ、
特別に神様から、
「霊を見分ける力」を
与えられる必要がある。

自ら正しく見分けられるなら、
疑うことはなくなる。

あまりにも疑い深くなってしまうと、
本物を受け取れなくなる。
これは大きな損害である。


thisisthehour624 at 12:07|Permalink