命をいただいているわけではない

2021年05月16日

血のあるままで食べてはならない

「しかし、肉は、
そのいのちである血のあるままで
食べてはならない」
(『創世記』9章4節)

身体は母親の胎内ですべて完成される。
生まれてからの成長は、
その各細胞が細胞分裂をして
増えていくだけである。

そして、そのような生命活動は、
血の循環によって行なわれる。
血がなかったら、
細胞分裂もなく
生命活動そのものもない。

つまり、血=命なのである。
血のあるままで食べる、
ということは、すなわち、
動物の肉ではなく、
その命を食べることなのである。

神様は、人間が動物の肉を
食べることは許されたが、
動物であっても
命を食べることは
許されなかった。

このことは、
人間の命と
その肉体との関係を
教えているのである。

生きている人間の肉体には
魂が宿っているが、
肉体が死んだら
魂は肉体を離れる。
その魂がまだ宿っているか
すでに離れているかは、
血が循環しているかいないかで
明らかになる。
つまり、血のある状態とは
まだその肉体が生きている、
ということなのである。

したがって
血のあるままで食べてはならない
ということは、
動物の肉を食べる、
ということを通して、
神様がお造りになった魂を
何人であっても
損ねてはならない、 
つまり、
人を殺してはならない、
ということを表わしているのである。

その証拠に
この御言葉に続く
5節と6節には
文字通り、
人を殺してはならない、
という内容であり、
食べ物の内容でなくなっている。

このことを知らずに、表面的に
血のままで食べない、
ということを守っても
意味がないのである。


(注:
では、脳死状態はどうか、
ということであるが、
脳死とは、
現代医学の力で
人為的に血の循環を
保たせている状態のことであり、
自然の状態で脳死になれば、
間もなく血の循環も
なくなるのであるから、
聖書解釈においては
考える必要はない。)

thisisthehour624 at 13:28
命をいただいているわけではない